中学時代に全日本代表の候補に選ばれ、その後名門である八王子実践高校に進学後、高校時代は春高バレーなどで活躍しロンドンオリンピックでは銅メダルを獲得した元バレーボール選手の狩野舞子さん。
身長185cmというモデル顔負けのスタイルで、さらにはかわいい・綺麗と話題です。
そんな狩野舞子さんですが、高校時代がかわいいのに暗黒時代と言われている理由や、ピークを迎えたのが中学?など気になる噂を調査しました!
それでは詳しく見ていきましょう。
もくじ
狩野舞子の高校時代かわいいけど暗黒期?
狩野舞子かわいい
画質よ(笑)
昔の女バレって皆
毛先が鋭い
シャギーだっけめっちゃ流行ってたな(笑) pic.twitter.com/VKSKfsUE3i— 特級デブ (@nikudeb) January 3, 2021
数々の大会で結果を残し、さらには容姿端麗という一見華々しいバレー人生を過ごしてきたように見える狩野舞子さんですが、高校時代が暗黒期だったと言われています。
そのきっかけとなったのが、当時撮影された春高バレーのPRポスターだったそうです。
当時、高校1年の時からエースとして活躍していた狩野さんには、試合後にカメラマンや記者に囲まれて取材を受けることも少なくなかったそうです。
そんな中、春高バレーのPRポスターを新しくインパクトのあるものにしたいと名前があがったのが狩野舞子さんで、そのPRポスターにはプレイ中のシーンを撮影したものではなく、ポスター用に撮り下ろした顔写真が大きく掲載されるものでした。
まるで春高バレーの顔ともいえるような大々的なPRポスターに狩野さんはとても戸惑ったそうです。
当時ケガをすることも多く思ったような結果が出せない状況に悩む中でも、常に世間の注目を浴びている狩野さんに周囲からは冷たい視線や陰口を言われることも度々あったようです。
そんな状況から、高校時代狩野さんはなるべく目立たないようにととても暗かったことから、暗黒期と言われているようです。
今の狩野さんを拝見すると、とても明るくかわいらしい方で、とてもそんな時代があったようには思えないですよね。
そんな逆境からくじけることなくプロのバレーボール選手となり、オリンピックでメダルを獲得するまでのし上がっていく姿は本当にカッコイイと思います!
狩野舞子のピークは中学だった?
女子バレーボールの元日本代表・狩野舞子が現役引退を発表した。この選手は高校時代にいきなり代表入りしたけど、怪我との闘いだった様に思う。しかし、狩野や竹下、木村など銅メダルの時から世代は変わっていくと実感するなぁ。 pic.twitter.com/DLOLjQMdVf
— いでぞう⛅ (@shin5114) April 23, 2018
そんなバレーで大活躍の狩野舞子さんですが、狩野さんのピークは中学だった?という噂があるので調べてみました。
狩野舞子さんは両親・姉もバレーボール選手というバレー一家で育ち、幼少期から常に身長がずば抜けて高く、小学4年からバレーボールを始めたそうです。
その後八王子実践中学に入学しバレーボール部に入部すると、中学3年時にはアテネオリンピックの全日本代表候補18名の中に抜擢されます。
当時中学生が代表に選ばれたのは、なんと24年ぶりなんだそうです。
それは世間から大注目なのも納得ですよね!
ただ、この後体の成長に伴って腰痛を発症したことからアテネオリンピックの代表から外れてしまいます。
高校入学後も腰痛に耐えながらキャプテンとしてチームを引っ張っていきます。
高校卒業後から引退までを調べてみると、その後も度々怪我と闘いながら選手生活を過ごしていたことがわかります。
来歴をまとめてみました。
年齢 | 狩野舞子の来歴・経歴 |
2007年(19歳) | 姉の所属する久光製薬スプリングスに入団し、プレミアリーグ開幕戦でデビューする。 |
2008年(20歳) | 右アキレス腱断裂のケガを負い、全日本代表候補から外れる。 |
2009年(21歳) | 全日本代表メンバーに登録される。 |
2010年(22歳) | 左アキレス腱を断裂の為、久光製薬を退団し怪我の治療に専念後、スポーツビズとマネジメント契約し全日本代表に選ばれる。その後イタリアのパヴィーアに入団し、開幕戦でセリエA1デビューを果たす。 |
2011年(23歳) | モントルーバレーマスターズで2年ぶりに全日本に復帰し、初優勝を飾る。その後、トルコリーグのベシクタシュに移籍する。 |
2012年(24歳) | ロンドンオリンピックで銅メダル獲得に貢献する。その後、久光製薬スプリングスに復帰し、その際ポジションがセッターに変更となる。 |
2015年(27歳) | 久光製薬スプリングスを引退する。 |
2016年(28歳) | PFUブルーキャッツに入団し現役復帰する。 |
2018年(30歳) | PFUブルーキャッツを引退し、同時に選手生活も終了となる。 |
決して順風満帆とは言えないですよね。
周囲の期待を背負いながら怪我も乗り越えて掴んだロンドンオリンピックの銅メダル獲得は、どれほど感慨深く嬉しかったでしょうか。
以上のことから、世間から”24年ぶりの期待の中学生”と脚光を浴びた中学時代から、その後活躍しながらも順風満帆とは言えない選手生活だったことが中学時代がピーク?と言われている理由ではないかと思います。
Twitterの声
#狩野舞子 選手
久光から最後まで、怪我と付き合いながらも必ず復活してた…不死鳥だよね♪
きっとこれからも(^-^)/
やっぱり舞子はスパイク打ってるのが1番好き(*^^*)長い間ありがとうございました。
お疲れさまでした。https://t.co/5nnUhkhMgQ pic.twitter.com/OXsixyYIgZ— 最後は野本梨佳@応援 (@_His8_Jpn17_) April 23, 2018
狩野舞子 怪我と 人気と期待感 いろんな重圧に耐えたバレー人生。 pic.twitter.com/IMF2xqBqpR
— Poohsan1053 (@Poohsan1053) July 1, 2015
狩野舞子引退か…。
アキレス腱、両足切ってたり怪我が絶えなかったものね。春校バレーでの活躍が
こないだのようだよ。。 pic.twitter.com/dPK1W9cWPP— ② (@szkAtsu22_2) June 30, 2015
狩野選手お疲れ様でした。
海外でのプレーもあり、ロンドンではメダル獲得などがあげられますか、怪我などかなり苦労苦悩もあったことと思います。
とりあえずは、体を休めてまた、さまざまな活躍を待っています。#PFUブルーキャッツ#狩野舞子 pic.twitter.com/oS4k3Mf5Oj— Lexington (@Lexington_cv2) May 3, 2018
Twitterでも、狩野舞子さんの苦労の選手生活に労いの言葉が飛び交っています。
バレーボール人生を通して、見ている人にたくさんの感動と希望を与えてくれた選手ですね。
まとめ
今日7月15日は、 #狩野舞子 さんが生まれた日。狩野選手は 東京都三鷹市出身の元バレー選手。愛称は「マイコ」。ポジションはWS・S。久光製薬スプリングスやパヴィーア、ベシクタシュなどで活躍。2012年のロンドンオリンピックで銅メダル獲得に貢献。
みんなで狩野舞子さんの誕生日をお祝いしよう! pic.twitter.com/hM6d4ZHd1n
— バレーボールらぼ! (@volleyball_labo) July 15, 2020
「狩野舞子の高校時代かわいいけど暗黒期?ピークは中学?」について調べてみましたが、いかがでしたでしょうか。
テレビを見ているだけだと、活躍ばかりを目にするので本当に華やかなバレーボール人生だと思いがちですが、人に歴史ありですね。
かわいいのは中学・高校時代からいまでも変わらずですが…
突如世間から注目を浴びた中学時代から暗黒といわれる高校時代を過ごし、その後も怪我と闘ってきましたが、大会の数々の結果は狩野舞子さんの苦労と努力の積み重ねなんだと勇気をもらいました。
最近では、開設したYouTubeもあるようですので、これからもかわいい狩野舞子さんの活躍を応援していきたいと思います。